千載一遇の雑記

千載一遇の雑記です

本質的な家事をしているのはどちらか

家族で清潔感に対する感覚に差があると、日常の些細なことがストレスになるという話をよく聞きます。

 

僕はパートナーよりもきれい好きのようです。例えば洗い物をしてもらったとき、これ汚れ残っているな〜と思ったりすることがあります。でもそれに文句を言ったり、洗い直しを頼んだりすることはしません。相手がいないタイミングでしれっと自分で洗ったり、そのタイミングがなければ見なかったことにしたりしながら過ごしています。無駄な争いはしません。

 

先日、1つか2つの食器を洗い直していたのですが、そのときふと、洗い物の目的は「食器をきれいにすること」であって「食器に洗剤をつけて水ですすぐこと」ではないんだから、汚れが残っていたら目的が達成されていないんじゃないかなーみたいなこと思いました。

 

が、その10秒後に本当にそうなのかわからなくなりました。

 

洗い物の目的は本当にきれいにすることなんだろうか。そのさらに上位の目的は、「その食器を再度使っても体に害がないようにすること」なんじゃないかと。

 

そう思うと、目視や手で触れてみて汚れが残っていないと思えるところまで洗っている自分よりも、家族が健康に生きられる程度に洗い物をしてくれているパートナーの方が本質的な洗い物をしているのかもしれません。洗い物にかけている時間も僕の方が長いです。

 

どの位置に視座を置くかによって見える景色が変わり、行動の意味も変わってくるというのを、身近なものから感じた瞬間でした。